Diary of a madman

癲狂院に置かれた或る一冊のノートブック
狂気の記憶が焼き付いた、深淵なる倒錯の記録の数々。
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2005年11月12日(土曜日)

 前回の書き込みから少し経ってしまいましたが、今まで少し考え事をしていて書く気になりませんでした。

 先週1週間は、出来事と読書の影響で個人的にあれこれ考えさせられていました。........ある同級生同士が結婚するという事、そしてある同級生の訃報........立て続けに連絡が届きました。こんなに人の運命の行方の違いを感じた事はありません。喜ぶべきか悲しむべきか、なんと「思えば」よいのか.......、なかなか気持ちの整理が付きませんでした。


 亡くなった同級生は、かつて友達だった人。疎遠になったからといっても自分の記憶の中の彼は友達だけど、直前の彼はどう思っているかは分からない。同じ町内に住んでいたけれど、小学校は違うし中学校は一緒になっても一度もクラスは同じにはならなかったし、その後高校も別だったし成人式で会ったのが最後。それもほんの少しだけ。

 一緒だったのは幼稚園の頃と、..........エレクトーンを習っていた事。
特にエレクトーンでは、他に男がいなかったし卒園した直後に習い始めたので、小学校こそ違えど毎週会っていたから友達そのものでした。

 偶然かな.....。少し前にドラクエの事を書いたけど、レッスン前の待ち時間に彼はいつもよくドラクエの話をしてくれました。IIが出た頃、自分は持っていなかったしまだドラクエの事をあまり知らなかったけど、彼が会う度に逐一プレイの進行を教えてくれて.........ここが面白いとかここが難しくて.....とか色々話してくれて、ドラクエってたのしそうだね、って思わされたものです。彼の方が先に辞めてしまったけれど、エレクトーンを長く続けられたのは、たぶん彼のおかげ。一緒に発表会に出たり、練習したり........やっぱりエレクトーンでの思い出は多いです。そんな仲だったから、自分がとあることで手術をして入院していた時に、唯一お見舞いに来てくれたのは彼だけだったし。1週間程度の入院だったから誰も来ないと思っていたのに......。

 友達といえども、ケンカはするだろうし嫌な思い出の1つくらいはあるものだろうけど、振り返るとそれが1つもなくて。本当にウマが合っていた感じ。尤も温厚で優しい彼の性格がそうさせてくれた気もする。


 例のエレクトーン用のドラクエのスコアを眺めながら、今頃どうしているかな....なんてふと思い出していた矢先の出来事でした。連絡をもらって、もちろん葬儀には参列しました。前にうちの祖母が亡くなった時もそうでしたが、あまりにも事の流れが速過ぎて、あっという間に過ぎ去ってしまうので、夢だったんじゃないかと思ってしまいます。それに......葬儀の最中、ずっと泣いていたし、あんまりよく憶えていません。不思議な事に、悲しいと自覚しなくても自然に泣いてしまっているんです。.........本当あっという間に終わってしまって、家にたどり着いて今の出来事は一体何だったのかって、ぼうっとしながら振り返るとやっぱりそれは現実の出来事なのだと自分自身に気付かせるのです。

 でも、なかなか今でも実感がなかったりします。遺影には、自分の記憶の面影は見当たらなかったし、遺体の前の焼香の際にもしくしく泣いていたから、顔を拝見することも出来なかったし........。


 全く.........運命の仕打ちは酷です。喜んであげるべき知らせにもうまく喋られなくて、運命をこんなに呪った事はないです。それに......友達が結婚することも羨ましいし悔しいのが本音だったりもします。みんな次々と結婚したりするのを訊いて、自分だけ置いていかれた様な気持ちになって、.........正直言うと辛いです。この先自分にも起こるとは到底思えないし.....。そんな風に悔しがったり辛い気持ちになっても、もっと辛い気持ちになっている人がいると思うと、人生とか運命とか一体何なのか分からなくなってしまいます。もし明日死んだら今までの人生はどうだったのかとか、一体どれくらいの人が悲しんでくれるのかとか、こんなことが起きるのだったらあのときもっと話せばよかったとか、ああしてあげればよかったとか、変わりたくない自分や変わりたいと思うもう一人の自分も、亡くなった彼や結婚するふたり、それぞれの人生を計り比べたりしても、考えれば考える程辛くなってしまうし、だからといってかつて友達だった人を、悲しむ事を忘れたとしたら果してそれでよいのかとか、それでも、いくら悲しんだところで元には戻ることはないのだし、もっと自分自身が頑張らなくてはいけないから、やっぱりもうやめようとか、それの繰り返しがしばらく続いています。友人代表として弔辞を述べた人がいたけど知っている人じゃなかったし、自分が勝手に友達だったとか思い込んでいるだけなのかも、とか..........もう些細な事であれこれ考えてしまうのです。


 彼は.......こんな人の事を憶えているかな。自分の記憶の中での彼はきっと憶えているだろうけど、現在の、こんなに勝手に人の人生を疑ったりする人の事は憶えていないかもしれない。でもそれは確かめられないし分からない。誰かが考えるのを止めさせた時に思っていた事で覚めるかもしれないけどそれが真実かどうかはわからない。考えれば考える程、分からない。
 確かな事は、彼が亡くなって、悲しんだ自分がいるということだけ...........。

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2005年11月14日(月曜日)

 そんな出来事が起こる前から読み始めていたのが、「ドグラ・マグラ」。思考回路が山手線になっていたのも、すこし影響しているに違いありません。

 以前貼った、アマゾンの商品ページのレビュー等を見てもらうとわかるのですが、この話には終わりがないのです。作品の最初と最後の文章が全く同じ時計の音の擬声語で、しかもそれが同時刻だというのです。そしてもうひとつは、この「ドグラマグラ」という本が、この作品自体の中に登場するのです。つまり、入れ子状態と時間の、ループが永遠と続く世界なのです。よく...「夢オチ」という終わり方がありますが、これも夢オチみたいな形なのですが、その終わりが最初に戻ってしまうので、終わりがないのです。.........永遠に覚める事のない夢、とりわけ悪夢程、地獄なものはないです。おまけに、主人公の「わたし」は自分が誰なのか記憶もなく、他人からとある青年が殺人者で精神病院に閉じ込められていることを知るのですが、それが「わたし」だというのです。でも記憶にない.....。おまけにその青年を病院内で目撃してしまうし(ドッペルゲンガーの様な感じですね)。一体誰なのか確信を持てずに話は進みようやく分かりかけたところで、最初に戻ってしまうのです。

 この作品は、著者の夢野久作が長い歳月をかけて作り上げたものだからか、いろいろな要素や話がつぎ込まれています。当時(〜大正時代)の精神病院の有り様、および精神病患者の扱いの酷さには改めて痛感した次第です。一度気違いの扱いをされてしまうと、即入院.....というより投獄という感じで、二度とは出られない地獄を味わう事になるということ。他の病気と違って、精神病だけが冷酷で正当な扱いを受けられない、という有り様なのです。

............過去の事件などを調べたことがあるのですが、いわゆる「狐憑き」の類いの事件は当時よくあったようです。その狐を追い払うために、憑かれている人間を殴ったり叩いたり....いわばリンチのような治療(とはもはや呼べない...)で、それで死んだら運が悪かった、で済まされてしまうという時代がかつて実際あったことは知っていましたが............。

 また、当時の精神病の偏見や乏しい知識を皮肉っているのかわかりませんが、やたら「変態性欲」と結びつけたがるふしがあったように思います。絞殺した事が、首を絞めることを欲することだと→....とか、嫁いでいる姉に憧れて、嫁の振りをするという妹の行為を→....とか、前に紹介したクラフト・エビングの書物の内容にも近い感じです。というか、今で言う変態性欲とは意味合いが違うのかもしれません。あ!、語彙を区切るところが違うのかも。「変態性、慾」、ってことなのかも。

 それと、この話では、発狂する所以が、過去の、何百年も何千年もの時間を精神遺伝によって脈々と受け継がれたものだということになっていて、その長い歴史を胎児の頃に夢見る.....とも言うのです。話の中で、殺人を犯した青年=わたし が出てきますが、その狂気の沙汰もまた、先祖の、殺人を犯した人間の潜在的な意識を時空を越えて受け継いだというのです。そして、この話はその途方もない歴史の一部分を胎児の頃に夢見ている......というようなことで、終わっている感じなのですが、結局のところ、記憶のない「わたし」の夢なのか、現実なのかどうかは分からず終いです。それどころかこれが夢ですらどうかさえも分からないかもしれないのですし......ということは一体何なのか..........よく....分からないのです。

 この話まではいかなくとも、「例えばもしも」今過ごしているのがたとえば夢で、自分が見たと思っている夢の方が実は現実だったとしたら...........みたいなことを、ふと空想したことがあるので、例えば悲しい出来事が起こったりすると、これが夢であればいいのに! なんて「思いたくなってしまう」のです。もちろんそんなことがあるはずもないことは百も承知ですが、この「ドグラマグラ」を読んでいたおかげで、より一層そんなふうに考えてしまっていました。


 とはいえ、個人的には満足できた本です。人には勧められませんが.......それでも三大怪奇推理作品の1つなのだとか。
どうでも良い話ですが、許嫁の設定が、絶世の美少女とかいう触れ書きで、しかも名前がモヨ子.......。「少女地獄」の虚言症の美少女ナース(w、姫草ユリ子のネーミングにもはっとさせられましたが、大正末期でこのネーミングは斬新だと思うのですが...どうなのでしょう。それにしても、モヨ子.........。隣の病室で「お兄様ぁぁぁ〜っ」なんて叫んでたりするくらいで、他にそれほど登場しなかったので、ちょっと残念。「わたし」と病院抜け出して常識を覆す様なドラスティックではしゃぐ日々を送って.....みたいな世界になってほしかったけど..............。

 話の内容も、登場する博士の口調などもあってダークな感じはありません。むしろ笑ってしまう様な箇所もありました。ネーミングも、「アンポンタン・ポカン」とか。w あぁ...でもこの作品中にどれだけ「キチガイ」の言葉が出て来たことか.....。  ...................やっぱりお勧めします。w 

 夢野久作を知ったのは、青空文庫(著作権のない作品をネットで公開しているサイト)で、「瓶詰地獄」というのを読んだからなのですが、妙な世界観や雰囲気が自分には合わないかも...と思いつつも変わってるな.....とも思っていたので、前から気になっていました。「ドグラマグラ」は上下巻の長編だったので、短編集だった「少女地獄」をとりあえず読んでみたら、これがおもしろくて。中でも学園モノの「火星の女」は痛快でした。(これもどうでもよいことですが、お嬢が出て来たり、車もシボレーだったりして、個人的に.......ね。)

おすすめ。
少女地獄(青空文庫内)

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2005年11月16日(水曜日)

 この雑記もそこそこな量になりました。エントリー数も、以前の日記に載せていた分も含めて400を越えましたし、1つのコンテンツになっているになっていると思うと、.....まぁ良くやったな...とは思います。

 でも.......、考えてみると、中身がない様な気もします。日記なんてそもそもそんなもの、と思ってしまえばその通りなのですが、他の人のブログなんかを見ていると、なんか違う......気がするのです。

 まずリアルタイムな事柄がないし、写真などの画像も少ないただ文章がずらーっとあるだけだし、文章自体も幼稚でいかれ気味だし、おまけにタイトルとページデザインも相俟って、だいぶおかしな、異色のブログになっているはずです。

 でも.......、それこそが狙った結果であり、そういう意味合いでは上手くいっていると言えます。何たって「癲狂院に置かれたノートブック」ですもの。ググってみると、同名のタイトルのブログは他にも見受けられますが、これほど「madman」な「diary」は他には無いと.....あんまり自慢出来る事ではないですが、少しだけそう思います。

 本当はもう少し雰囲気を出すつもりでした。前にも書きましたが、文章を現代的仮名遣いから歴史的仮名遣いにして、文章の方向も右から左にするつもりでした。実際はそれは可能で、仮名遣いの変換は「丸谷君の遺言」という変換ソフトを使えば一気に変換できますし、文章方向も、スタイルシートのwriting-modeを適用すれば、Win版のIEのみですが表現できます。

 それらも実現すれば、たぶん.......一層エライ事になるでしょう。w 実のところ、やってみたいとは思っているのですが、さすがにそんな閲覧者無視の作法は出来ませんので、諦めていますが。 


 自分自身を狂人に見立てて、癲狂院に閉じ込めてそこで日記を書かせているのだから、これが自分自身のオリジナルな「ドグラマグラ」かも。すごい偶然ですけど、必然なのかもしれません。

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2005年11月19日(土曜日)

 ファイル消失したとかメールが届きました。
 というのは、「muzie」という音楽投稿サイトにアカウントを取得して、アップしている自作曲のファイルです。....アップしている曲は全て自サイトに公開しているものなので消えたところで特に困るわけではありません。ですが、メールで「すみませんでした。もうしません。消えたファイルは再アップお願いします。」で終わってしまうところが凄いな....と思います。どうやらサーバは別のところに頼んでいるらしく、そこで人為的なミスである期間中にアップされたファイルを消してしまったようです。謝罪文もそちらの方からのものでした。

.........まあ、自分のところは前述通りですし、その上1年以上もアップしていないし放置状態なので、困るわけではありません。でも、再アップするのは面倒です。自分のところでも十数曲。消失した期間が長いので、人によっては相当な数が消えてしまっているはず。そのサイトで力を注いでいた人には、本当に気の毒な話です。以前利用していたレンタルサーバで、ファイルをごっそり消された事が自分にもあるので、その時の喪失感といったら...........。ちょっと文面では誠意が足りないかも....しれません。


 その話はそこまでにして、実は前々から書きたかった事があります。
その放置状態の自分のmuzieアカウントページ内にアップしている曲のダウンロード数や投票数が増えているのです。最近になって再び自サイトからmuzieへリンクを貼りましたが、それまでの間、muzieサイト内からでしかたどり着けなかったはずなのに、数が増えているというのが実に不思議なのです。

 1年以上アップしていないので、自分のアカウントページに気付く人がいるとは思えないし........なによりダウンロード数とそれほど変わらない数の分だけ投票数が増えているっていうのが.............なんとなく........ね。もちろん自作自演で投票したことは一度としてありません。

 いや、本当に気に入ってくれる人がいるのだとしたらとても嬉しい事です。とっても嬉しいです。どなたかがこっそり気に入っていてくれているのかもしれないし..........。

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2005年11月20日(日曜日)

 そういうわけで、新曲をどんどんアップしていきたいとは思っています。でももう少し待って下さい。ずっとギターを弾き続けているし前よりもまたマシになっていますし、曲のパーツのストックは貯まる一方です。収拾がつかない位です。

 でも、サイトのリニューアル作業も佳境に入ったところですし、今の流れ出いくと第七天のリニューアルの方が少しだけ優先します。

 今月に入って、いくつもいくつもゴシックフレームのアイデアを具体化するために、紙にとにかく鉛筆を走らせていました。最初は「やっぱりムリ。ゴシックの根源、ゴシック建築の流れからフレームにするのはムリだ」...と思って半ば諦めつつも、デザインを真似て書いていたりしていたら..........、なんとかある1つのところへ要素を集められた気がします。それからは、フレーム状に限らず、ワンポイント、帯状、などなどいろいろ具体化できました。中でも竜をゴシック調に表したものが一連の作業の中で偶然出来上がり、自分でもその良さに驚いています。

 まだまだ1つのスタート地点に過ぎませんが、自分にとって大きな到達点です。あとは、これを2Dでパス化するか、3Dにするか....まだ作業は色々ありますが、アイデアを紙上にでも書き表せたことに比べれば楽なことです。


 それと同時に音楽も..........あともう少しのところに来ている気がします。こちらも「いろいろある到達点のうちの1つ」に過ぎませんが、ずっとずっと前から思い描いていたものなので、自分にはすごく大きいのです。


 音楽もデザインもやってきてお互い離れた場所から始まったのが、だんだんその距離が近づいて来ていると感じています。よく「二兎追うものは一兎も得ず」なんていうことわざが思い浮かんでは、止めようとか思った事が今までにも今もありますが、やっぱり続るべきかなと....宿命だなんて言うと大袈裟ですが、そんな風にも思います。

 最近、クリエイター系の登録型リンク集サイトをあちこち巡って登録しようかなと思っているのですが、他の方のサイトが気になって色々拝見するのですが、自分と同じ様なのが見当たらなくて。サイトデザインなんかは本当に同じ様なのが本当に無いのです。
 「クールなサイトデザイン」なんて言えば、FLASHモリモリのデジタルちっくなデザイン、みたいな感がありますが、そんな流行りに逆行している自分のサイトを比較して、「やっぱりダメなのかも.....」って落ち込む事がよくあるのです。「やっぱりああいう方がウケが良いのかも」.....って。

 でも、長い歳月を経てようやく思い描いていた事が2つの分野で一致しそうなのだから、せっかくここまで来たならそこまでやってみようかな........と思い改めてみたりしています。


..........サイトを公開したのが1998。今年は2005。
サイトのみならず、やりたいことはいっぱいですし夢もいっぱいです。

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2005年11月25日(金曜日)

 1877

23:05:18

[ 建築 , 群馬県 ]

 去る10月20日に、旧新町屑糸紡績所の一般見学会が開かれていたなんてちっとも知りませんでした。
これはカネボウの新町工場敷地内にある建物で、1877年(明治10年)、官営富岡製糸場(こちらは明治5年)に次いで建てられました。.........維新からわずか10年後に出来た建物が、こんな小さな町に今でも現存しているのが不思議なくらいです。

 今回の見学会には参加できませんでしたが、実は小学生の頃、社会科の授業でカネボウへ工場見学しにいったことがあります。倉庫や、その他の古い施設なども見させてもらいました。.........レンガ倉庫だけは今でも記憶に残っています。本当に、横浜の赤レンガ倉庫なんかとは比べ物にならない程小さなものです。それでも古びたレンガを間近で見て、歴史の重みを感じ取ったものです。

 レトロなレンガ造りの倉庫が、国道からちょこっと覗けるくらいで、他は工場敷地内に入らなければ見られないと思うので、存在感があまりなく、今まで半ば放置されてきた感じもあると思います。規模で言えば断然、富岡製糸場の方が大きいですし歴史にも名を残しています。その点、新町の方は、屑糸を紡績する施設だし、規模も小さいものです。

 そんな折り、富岡製糸場の施設を、世界遺産に登録させようとする動きが近年起こり始め、しかも県レベルでいろいろと取り組みを行っている様です。.........詳細は知りませんが、どうやら富岡製糸場と共に世界遺産に登録させたいようです。

 個人的に言わせてもらうと..........、世界遺産の登録に捕われ過ぎている様な気がします。歴史的価値があるのは分かります。けれども、県民のため....というよりも名目のため.....の方がずっと大事、のように思えてしまうのです。県が制作したPRビデオを見た事あるのですが、それを見るとほんとううんざりしてしまいます。兎にも角にも世界遺産にふさわしい...みたいな内容で、肝心の施設の魅力がちっとも伝わってこなかったのです。 それに対して.....偶然見たのですが、BSフジだったと思いますが、日本の近代建築の番組があって、東京、北九州、北関東、の3回を見たのですが、その内、北関東の回は、実際はすべて群馬県内にある建造物で、富岡製糸場、旧丸山変電所、碓氷峠のめがね橋、碓氷社、などなど、同じ30分間なのに、すごく内容が充実していて嬉しかったんです。

 歴史的価値などから見て、おそらく横浜の赤レンガ倉庫のように、テナントを入れて、テーマパークのようにすることは難しいのでしょう。...........でも、そこを何とか良いアイデアで、皆に親しまれる様な形で公開してほしいのです。横浜の赤レンガ倉庫はまさにそういう施設となって活躍しているのを目にしたので、嫉妬しているのです。こっちにだって素敵な倉庫があるのに放置されたままなんだもの。


 こんなことは言いたくはないのですが、現在の県の財政はだいぶ酷い状態です。にも関わらず、館林美術館、昆虫の森、などなど、どう考えたって大赤字なのは分かりきっているのに、それを財政難にも関わらず次から次へと作ってしまうのには呆れています。(議会も呆れているらしいですが) 第一、副知事が居ない状態がもう数年も続いている事自体、異常です。イエスマンばかり周りに従え我がまましたい放題.......。誰の何の事を言っているかおそらく分かると思いますが、今の群馬県はそういう状態です。今回の件だってだいたいそんなところでしょう。


 今後どうなるかは分かりません。所有者であるカネボウも経営状態が良くないですし、新町工場ももしかしたら売却...だなんてことも起こりうるかもしれないし...........、何とか良い方へ向かってくれれば良いのですが.............。


 ぐぐってみたらこんな動画が!
http://www2.g-tak.gsn.ed.jp/es/sougou/sonota/tetsudou/tetsudou1.html
..........なんか古そうだけどいつのなんだろう。ちょこっとレンガ倉庫が映っています。

ちなみにBSフジで放送した番組、DVDになっているようです。
http://www.dvd.netyokocho.jp/catalog/KKCS-7/

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2005年11月26日(土曜日)

 今まで作った3DCGを再掲載するために改めてレンダリングしています。(レンダリングとは、端折って言えば設計図を実物に見せる様にするようなものです)

 今まで作った3DCGは、以前使っていたマックの環境に制限された事が多く、特にレンダリングサイズがモニタが800×600という小さいものでしたので、それより大きなサイズにはなかなか出来なかったのです。でも新しくした現在では、1280×1024という大きなサイズでモニタできるし、CPUもG3の233KHzからG4の1.25GHzでメモリも768MBですし、大きなサイズでレンダリングしても以前よりは短くて済むと思って、まとめてレンダリングしてみました。

 ........と言いたいところですが、「レンダリングしてみました」ではなく「レンダリングしています」が正解という現状です。

 とりあえず10数ファイル分をレンダリングできましたがまだ10個程ファイルが残っています。

 使っている3DCGソフトは一昔前のマックでは定番だったSTRATA(ストラタ)というメーカーのVision3dという廉価版のものを現在も使っています。.....本当、一昔前まではSTRATAが定番でユーザー数も多かったのですが、今ではマイナーなソフトになってしまいました。長い間Mac版オンリーでWin版を出すのが遅かったし、ソフトの方向性も業務用向けのような内容でもなく、かといって完全にホビー向けというわけでもない路線だった...辺りの理由が考えられますが、やっぱり個人的にも不満だったのがモデリング機能の乏しさでした。

 ちょうどバーチャルビューティでしたっけ、3DCGで美少女キャラを作るのが流行り出した時に、ShadeやLightwaveなんかが持てはやされましたが、STRATAでは..........無理でした。もちろん中にはSTRATAで作っていた人もいましたが、それはごく僅か。リアルな美少女キャラはおろか、他のモデリングでさえもSTRATAでは難しかったと思います。
 ただ、レンダリングの仕上がりの美しさは特筆もので、レンダリング方式で一般的な「レイトレーシング」でレンダリングした中ではフェアに判断しても、他のソフトと比べて1、2を争うものだったと思います。

 かくいう自分もソフトをShadeに乗り換えようかと今まで何度も思いましたが、3DCGより音楽の方が制作の比重が大きいので、3DCGをやらない時は本当にやらなくて、2、3ヶ月はソフトを全く立ち上げないというのもよくある事でしたので....、見送っていました。でも3DCGをやり始めるとまた欲しくなってしまうんですよね。w


 そんなSTRATAを今でも使い続けてきましたが、改めて今レンダリングしはじめて、作ったファイルの意外数にびっくりしてしまいました。なんだかんだいってもけっこう作っていたんですね。なかなか良い出来のままの作りかけのものや公開していなかったものなどいろいろあって、ちょっとこのままでは勿体無いかも......。

 話がそれましたが、とにかくレンダリングに時間が掛かっています。STRATAには、レンダリング途中のファイルや後でレンダリングするものをサスペンドファイルというものにできるのですが、これを自動処理してくれる機能があって、レンダリングしておきたいサスペンドファイルをまとめて設定しておけば、次々とレンダリングしてくれるというものです。

 これを使って、他のソフトを使っている時はもちろん、寝ている時や離れているときでもず〜っとパソコンはレンダリング作業をしてくれるのです。ここ2、3日はずっと起動したまま、ぶっ通しでレンダリングしています。

 .........でもまだ終わりません.............。1つのファイルのレンダリングに7時間くらいかかっているものがあるし.........。あぁ。

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2005年11月29日(火曜日)

 ラストバイブルをRPGツクールで再現されているサイトがあるのですが、ラストバイブルに新たにオリジナルな要素を追加したものも公開され、早速ダウンロードしてプレイし始めています。

 アガシャの岩穴

 そちらのサイトは、前々からよく訪れていたのですが、アップされているものはWinのみの動作の様なのでゲームは未プレイでした。普段使っているパソコンはマックですし、Winマシンもあるのですが、自サイトの閲覧状態のチェックくらいにしか使わないし性能も貧弱なこともあって、あまり使っていないのです。

 今回のアップを機にプレイしてみました。
まだプレイし始めたばかりなのですが、すごく良くてびっくりしました。「RPGツクール」というゲーム制作ソフトによる基盤があるとはいえ、ほとんど新しいラストバイブルシリーズをプレイしているかの様な.....そんな気持ちにさせられました。

 ラストバイブルがリメイクされて、1/2/3がまとめて1本になったらこんな感じなのかな.....なんて夢を見てしまう感じでした。

 ラストバイブルは、アトラスの看板的作品である「女神転生」の流れを一応汲むシリーズではありますが、ゲーム内容、雰囲気自体は別ものだと思うし、マイナーな作品であることは、認めざるを得ないと思います。

 でも、客観的に見ても、シナリオやグラフィック、音楽、どれもが良くできていると思うし、このまま忘れ去られてしまうのは凄く勿体無いな...と思ってしまうのです。リメイクを懇願していますが、おそらく無理な事なのでしょう。 ラストバイブルは主に携帯ゲーム機で発売されていましたが、アトラスはその後デビルチルドレンのシリーズで出していますし、アトラスの携帯ゲーム路線はそちらに代わった、ということなのでしょう。


 そんなことはともかく、ラストバイブル好きな自分に出来る事は、一応果しました。ラストバイブルの音楽に関して言わせてもらえば、手前味噌で恐縮ですが、自分のところ以外にあり得ないと思っています。なんて言ったって、1と2は全曲コピーした上に、譜面に書き出してアナライズした程ですから。

 それ以上に、この再現/アレンジゲームは、熱意みたいなものを感じずにはいられません。今回新しくアップされたものは、再現ではなく、ラストバイブルの基本はそのままにオリジナリティのある内容になっているところが素敵です。まだ完全な形態ではないようですが、これから楽しみです。


 ラストバイブルと言えば、ルシフェリウム。
 ルシフェルの根城でシリーズ通してルシフェルと共に登場しているのでお馴染みですが、以前、同名の「ルシフェリウム」というラストバイブルのファンサイトがありました。残念ながら閉鎖してしまいましたが...........、復活を願ってやみません。ちょこっとしたサイトデザインとかお手伝いしてあげたいと思っているくらいです。いや........「Luciferium」って単語をCGソフトでお気に入りのフォントで書いてみたら、いろいろと思い浮かんでしまって.....。

 ラストバイブルは、自分のアイデンティティの1つのようなものです。あんなに自分にぴったりなルシフェル像は他にはないし、世界観も文句の付け様が無いほど似合っています。せっかく耳コピできる腕があるのだから耳コピをしたし、Webサイトを持っているのだから公開しました。..........ラストバイブルを少しでも盛り上げられるのなら、そうしたいと思っています。

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