Diary of a Madman

癲狂院に置かれた或る一冊のノートブック
狂気の記憶が焼き付いた、深淵なる倒錯の記録の数々。
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名前の読み違えから知識が増えて

 別に載せるほどの内容ではないかもしれません。
ただちょっと、しばらくの間読み間違えていたことがあって、それからひとつ新しい読み方を知っただけ、そして自分の中で少しばかり知識が増えただけ、それだけのことです。

 
 橋本病という甲状腺の病気があります。その病気を発見した人を、橋本策 といいます。何と読むか分かりますか。「はしもと はかる」と読みます。昔、医学書を眺めていたら偶然見つけたのですが、きちんとルビも振ってあったにもかかわらず、なぜか「はしもと はるか」と読み間違えてしまいました。「策」という字で「はるか」と読むのか。しかもこの時代の男の名前で「はるか」なんて良い名前じゃないか、と中二病罹病者の自分にはそう感じたのでした。

 それが「はかる」と読むのを知ったのはだいぶ後になっての事ですが、今でも「はるか」というルビが読む際に頭に浮かびます。

 
 近年のヘンテコな名付けの話題に対しての反応や、自分の古風な嗜好への変化もあって、昔の名前や辞書に載っている名乗りに興味がわくようになりました。歴史人物だと先述の橋本策に加えて、例えば西周、前島密、井上成美、後述する重光葵、近年だと、速水優など、名乗りだと、たすく(翼、右、介、救など)、いずる(出)、さとき(鋭)、みつぎ(調など)、あきら(普通に読める漢字以外として、爽、爾、玲、剣など)など。

 自分の名前が漢字2字ということもあって、漢字1字のみの名前がかっこ良く感じてしまいます。さっぱりとしていて書く画数も少ない場合が多いでしょうし。自分の名前には画数の多い漢字(優)が使われているので、なんとなくそう思ってしまいます。そして、そういう漢字に2通りの読み方があるのもまた好きだったりします。たとえば「葵」なら「まもる/あおい」の2通りあります。「周」も「あまね/しゅう」、「優」を「まさる/ゆう」、「翼」を「たすく/つばさ」、2字ですが「成美」を「しげよし/なるみ」というふうに。例に挙げた読み方だとたぶん現在では後者の読み方のほうが多いはず。でも個人的には前者の読み方のほうが好みかもしれません。
 
 そこで、知識が増えたという話なのですが大した事ではありません。
 電子辞書を手にしてからは専ら調べる際に使っているのですが、収録されている漢字辞典の字引機能が優れていて、複数の読みから漢字を検索する機能があります。そこでためしに「はかる/はるか」共に名乗りを持つ漢字があるか検索してみました。するとあるではありませんか! 「斗」という漢字でした。最近よく名付けに使われる漢字ですが、どちらの読み方でも読めない人が大多数だと思う........。漢字字典に載っているからといって名付けても、読める人がいなければ名前としてはいわゆるDQNネームになってしまいます。しかし残念だなあ.......。「斗」を「はかる/はるか」、男女どちらの名前でも通用する名乗りなのに..............。

 
 橋本策、同様に「重光葵」も「しげみつ あおい」と中学生の頃に読み間違えていた時期がありました。重光葵(しげみつまもる).....昭和初期から太平洋戦争後まで活躍した政治家です。当時使っていた日本史辞典の巻末のデータの中に、歴代の内閣の閣僚メンバーのリストが載っていて、ちょうど太平洋戦争前後の内閣にかなりの頻度で登場していたのと、字面(じづら)がかっこ良く感じたこともあって、頭に残っていました。しかしそれ以上の興味は無く人物に付いて深く調べようとは思わずそれっきりでした。

 それが思わぬところで調べるきっかけになりました。ちょうど戦争関連の番組をやる夏のある夜、お風呂上がりに何気なくテレビを付けてみたら、モノクロの古そうな映像の中に、杖をつき足を引きずりゆっくりと歩く老紳士の姿がありました。たしかに年はとっていそうだけど、そこまで足が悪そうにも見えないし.......などと思いつつ見ていたら、多数のアメリカ海兵の敬礼を受けながら戦艦の甲板を歩き........映像は進みやがてひとつの調印を結びました。日本降伏文書の調印でした。そしてそのサインをした人物こそが重光葵でした。

 さっそく調べてみたら、杖をつき足を引きずっていた理由がわかりました。朝鮮人の爆弾テロに遭い片足を失っていたのでした。三国同盟に反対し太平洋戦争開戦の回避に奔走した事、そしてA級戦犯だったことも知りました。A級戦犯なら終身刑で仮釈放があったとしても獄中期間は長く獄中死する者も多かった中で、重光葵は禁固7年、5年で仮釈放され、その後は政界に復帰し外務大臣を務め、戦後の日本の復興に尽くした、ということでした。

 ..........ハンディを抱えてつづも活躍した事が好感を持つ理由になるといえばそうと言わざるを得ません。加えて、山本五十六や井上成美などもそうですが、結果論的に開戦しない方が良かったという現在の世論と同じ様に、当時から三国同盟、開戦に反対だったこと、そのために国に尽力したということ、またそれら以外の言動においても調べていくうちに深く感銘を受けるのでした。


(2007/5/27)
 

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