Diary of a Madman

癲狂院に置かれた或る一冊のノートブック
狂気の記憶が焼き付いた、深淵なる倒錯の記録の数々。
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脳枷

 「いつでも繋げられる」ということは「いつでも繋げてしまう」

 そんなの当たり前だろ、同じ意味じゃないか、なんて言われてしまうかもしれません。でも言いたいニュアンスが少し違います。

 昔はテレホーダイみたいな時限の定額サービスがあったおかげで、時限外では控える事が普通でした。ネットに繋げる夜11時になった途端にサービス加入者が一斉に繋ぎ始めるので、ネットもそれを境に重くなることもしばしばで、結局あまり繋ぐ事も無かったかもしれません。それに当時の1998年頃は、今ほどネットは普及していませんでしたから、情報量も少なかったので調べ尽くしてもそれほど時間はかからなかったのですね。

 しかし、「いつでも繋げられる」ADSL以後のブロードバンド化は、考えようによっては利害も裏腹の様に思えます。「いつでも繋げてしまう」ので、亊あるごとにネットに繋いでしまい、さらに関連の記事へ次々とリンクを踏んでしまい、1つの調べもので済むはずが気づくとずいぶんと寄り道していることが多くなりました。ネットで情報や知識が得られるのは良い事ですが、肝心の制作が後回しになってしまうことが多くなった様に感じました。

 先述のテレホーダイ時代は、そんな背景から時限外は制作などに完全に費やす事が出来ました。


 個人的な話ですが、ここ2、3年の自分は制作環境の整備の名目の為にパソコン周りに執着しすぎた感があります。もっともそうしなければ後々まずいことになるのも事実だったのですが、情報を得る為に闇雲にネットに時間を注ぎすぎたと反省しています。無駄にブログに投稿したりしたのは.........文章を書く事に多少慣れたからまあ良いのかもしれませんが、それでも注ぎすぎました。

 ............と、ネットのせいにしてしまいましたが、よくよく考えてみると、開発が止まってしまい、古いOS/環境でしか動かせないシーケンスソフトを使っている自分のせい、のように思えてきました。そのMIDI制作ですら、そんな環境整備のためにまともに使う事が無かったり。自分にプログラミングできる能力があったらきっと好みのシーケンスソフトを作っている事でしょう。そしてまた主客転倒に。

 結局、自分自身で脳に枷を嵌めてゆくのです。

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